観ました。
どうも、おさとうです。
5月13日、朝8時45分。
最寄りの映画館で観て参りました。
塚田僚一初主演映画
舞台挨拶のライブビューイングもセットだったんですが、そっちのレポは上手な人のTwitterとかを見て頂くとして、映画の感想を書き留めておこうかなと思います。
何度か観るつもりなので、ひとまずは初見での感想ということになりますかね。
※ここからネタバレを含みます※
ストーリーやSnow Manの面々に対する感想も、もちろんあるんですけど。
何よりも映画を観た後に心に強く残ったのは、最初の個人戦。
アイソレーション・ゾーンに一人残される岡島くんの姿です。
引きの画の時は、精神を集中させているんだろうな、イメトレしてるのかな、と思ってたんですけど。まあ実際してたと思うんですけど。
アップになった時、岡島くんの瞳から感じたのは、果てしない“無”でした。
“虚ろ”とか、“空っぽ”とも表現できるかもしれない。
わたしがこれまでに見てきた塚田くんの集中する姿って、エネルギッシュなイメージがあったんですよね。
ギラついてるというか、力んでいるわけじゃなくとも本能的に楽しんでそうというか。
いつも強い光を宿しているイメージがありました。
でも、アイソレーション・ゾーンで一人集中する岡島くんの瞳には、なんにもなかったんですよ。
まるいビー玉がただ光を通しているだけ、みたいな。
もちろん、塚田くんが本来持っている顔や肉体の美しさや、それまでのストーリーから岡島くんにかっこよさを見出して堪能してはいたんですけど。
でも、忘れられないんですよね。
あの空っぽな瞳が。
仮に。
「意識を研ぎ澄ます」ということが「余計なものを排除する」と同義であるならば、集中する岡島くんの瞳から無を感じたこと自体は、不思議なことではないです。
ではなぜ、あの瞳は、わたしの心をこんなにかき乱すのか。
おそらく、今までわたしが目にしてきた塚田くんの「集中」は、「魅せるためのもの」だと理解させられてしまったからなんだと思います。
ツアーメイキングがいくら素に近い姿だとしても。
コンサートでその姿を目の当たりにしているとしても。
SASUKEというアイドルとして立っているのではないステージの上だとしても。
それはいつも、自分だけのための集中ではなく、わたしのようなファンのための集中でもあるんですよね。
でも、塚田僚一という一人の人間が自分のためだけに集中した時、こんな顔をするんだと。
塚田くんにはまだまだ見たことのない一面があるんだと。
そう感じました。
ただ、ストーリー的には集中しきれていなかった場面だとも考えられるので、ぶっちゃけ何とも言えないんですけど!!!!!
でもそうだったとして、個人戦の時は過去の自分、面接では仲間と大会のことで心をざわつかせていながら、あの眼差しができるのは、それはそれで恐ろしいですよね。
逆にそうすることで精神の安定を保とうとしているんだとしたら、あまりにも自分の精神を支配することに長けているなあと。
もしこれから映画を観る方がこの記事を読んでいるとしたら、あの果てしない無を感じてほしいなと思います。
ほんとに、見たことのない塚田くんの顔でした。
以上!初見の感想でした!!
自己紹介のかわりに
はじめまして。
おさとうと申します。
Twitterで文字数ギリギリのツイートをリプライで繋げまくる生活に変化を与えるべく、この度ブログを開設してみました。
いや~それにしても…
はてブって、ジャニオタっぽいよね!!
ぶっちゃけやりたいな、とはずっと思ってたんですよね。
でも先述の通りTwitterもあるし、長文は今までにnoteというサイトでお笑いの話をしてたので、いっぱい手を出すのもなあ……と思ってたんですけど。
最終的に、最近はてブを始めた友人(増田担)に
「はてなブログやれよ~~~~~!!!!!!」
と言われて始めました!(実話)
Twitterで書いたことを清書する場所になりそう……
というのが現時点での予想なんですけど。
暇で暇で仕方ない時にでも、読んでもらえればなと思います。
さて、ここからは。
あんな薄っぺらい自己紹介なんかよりも、よっぽど自己紹介になりそうな、
「自担とわたし」についてのお話です。
※ここからはTwitterで散々話したやつが始まります。
A.B.C-Zを好きになったきっかけは、母親(キャピキャピ系の強火藤ヶ谷担)がキスマイ目当てで録画した、2013年少クラクリスマスSPの「Never My Love」です。
塚田くんを好きになったのは、当時ごにょって見た青スーツの「Crush」
…………の、スロー側転。
スロー側転落ちです。
バック転じゃないんですよ。
スロー側転なんですよ。
いや、別に、側転フェチとかじゃないんですけど。
これをわかってもらうには、まずわたしの昔の話をしないといけません。
わたし、小学校1年生から6年生までバトントワリングというスポーツをやっていたんですね。
「鼓笛隊のアレ」「おはガールがやってたアレ」等と言えば通じるでしょうか。
そこで習ったんですよ、側転。
つま先を伸ばせ、膝を曲げるな、勢いで回るな……
ハチャメチャに怒られながら、魅せるための側転を叩き込まれていました。
(その結果、体育館の端から端までを側転で往復するという、今思うとかなりの担タレ実績を獲得しました)
そして時は流れて2013年・冬。
母親の影響でキスマイにハマり、宮田担になるかならないかという瀬戸際の頃。
“エビキス”を通して、わたしはA.B.C-Zに出会います。
当時のわたしは、まあ今もですけど、彼らのアクロバットを含めた華麗なパフォーマンスをぼんやり見つめながら
「はあ、すげえ、すげえわ、なんか知らんけどすげえ……」
などと感じていました。
しかし、塚田くんのスロー側転を見た瞬間。
わたしは今までに感じたことのない感情の昂りを覚えました。
とにかく無我夢中でシークバーを進めては戻し、進めては戻しを繰り返しました。
その一方で、ずっと頭の片隅に疑問が浮かび続けていました。
「何で側転がこんなにかっこよく見えるんだ?」
だって、もっとかっこいいことは他にもしているのに。
歌も、ダンスも、ルックスも素晴らしいのに。
そう、当時のわたしは気付いていなかったのです。
あの興奮の正体が、所謂 進研ゼミ状態 だったことに。
おそらくですが、わたしは彼らの超次元パフォーマンスをすごいなあとは思いつつも、本当にそのすごさを理解できてはいなかったのです。
なぜなら、すごすぎるから。
あるじゃないですか。めちゃめちゃすごいことをあまりに容易くやられると、
「俺にもできんじゃね???」みたいな気持ちになること。
もちろん出来るとは思ってなかったですが、そういうニュアンスで彼らのすごさを捉えていたんだな、と思うんですよ。
でも、塚田くんのスロー側転だけは違った。
あのパフォーマンスを一目見た瞬間に、わたしは理解していたのです。
あれだけ美しい側転をするには、どれほど身体の隅々まで気を使わなきゃいけないのか。
それをあの遅さでやるには、どれほどまでの筋肉を要するのか。
あれは、常人に、ちょっとやそっとで成せる業じゃない。
わたしは、自分の身体に刻まれた記憶を通して、確信したのです。
ああ、ほんとにすごい人なんだ。
当時を振り返って思います。
この絶望にも似た尊敬が、初めて感じた昂りの正体だと。
それ以来、わたしは彼から目が離せなくなってしまいました。
塚田担の誕生です。
さあ!これでわかって頂けましたかね!
・尊敬ベースの激重オタク
・自分語りマン
・クソポエム量産マン
・夢女子(関係ない)
こんな感じです!!!
好きになってからの話はまたそのうち!!!
よろしくお願いします!!!!